『綺麗な死に方ってどんなのだと思う?』
と友人に聞かれた。
(醜い状態になってまで生きていたくない)
と思うことは何度もあったけど、
(綺麗な死に方)って考えたことがなかった。
『綺麗な死に方』か。。。
どんな死に方だろう?
一般的には『自然死』というものなんだろうけど、
でも、『自然死』って言葉で言うほど
綺麗じゃない(汗)
死ぬまでとにかく汚いでしょ。
人に迷惑かけまくるでしょ。
そして、息を引き取るまで、ね。。。
入院していると、
そういうギリギリの人を見ることがあるし、
そういう話も聞くから思うけど、
人の死にぎわって綺麗じゃない。
でも、嫌だよね。
ギリギリまで色々辛い思いをして、
人に迷惑をかけて色々悪く言われて、
汚物扱いされて、
(あんな死に方だけはしたくない)
といつも思う。
病院って、サクッとひとを死なせる道具があるのに、
死なせてくれないんだよね。
まぁ、当たり前だけど(笑)
病院は『人の命を救う場所』であって、
『人の命を奪う場所』ではないからね。
でもさ、
(それを点滴に入れてくれたら死ぬんだよね!?)
と思うと、
(頼む!それをこの点滴にブッ刺してくれーーー!)
と心の中で思うことは何度もあったよ。
めまいと頭痛が止まらず、
ただひたすら苦しんでいた時、
ほんとに死にたかった。
唯一、気が休まるのは寝ている時。
寝ている時だけは、痛みも吐き気も感じないんだよ。
『死』ってさ、
寝るだけだと思う。
永遠の眠り。
『おやすみなさい』って寝るでしょ。
普段は翌朝起きるけど、
『死』は起きない。
『おはよう!』って起きない。
ただ、それだけ。
別にたいしたことじゃないし、
特に問題視することでもないと思う。
あんな痛みと苦痛を我慢してまで
なぜ毎日生きていないといけないのか?
今年の1月2月は、
そればかり考えていた。
そして、死ぬことより生きることが怖いと
さらに思うようになった。
ここ数日体調が悪い。
とにかく吐き気が止まらない。
薬を飲んでも無駄。
こんな状態なのに、まだ死なないってさ。。。
なんで???
もう耐えるのしんどいんですけど。
これでもまだ『生きなさい!』って言う?
もう無理。
こんなことを考えていたからなんだろうな。
友人の
『死にたい。辛い。
綺麗な死に方ってどんなの?』
という話を普通に聞けるのって。
普段から、こういう話は
全く苦なく聞くことが出来るけど。
『こんな話、誰にでもできる話じゃないし、
何日も話せることじゃない。
下手をすると、精神科に行って来いって言われるから
話すのが嫌になる。
でも、ホントに辛い。
こうやって話を聞いてもらえるだけでも嬉しい。
ありがとう』と友人に言われると、
今、私が体調が悪くても生きている意味は、
友人の話を聞く役目があるからなんだろうと思い、
無理やりでも生きれる。
そういうことでもないと耐えられないくらい
ここ1週間ほんとに体調が悪い。
前向きに色々考えていたことも、
『やっぱり、この体では無理だろうな。
どうやって生きていったらいいんだろう?』
と振り出しに戻ってしまい辛い、きつい。
こんな状態でもまだ生きろって言う人がいたら
私にとってはただの悪魔だな。
そして、この友人にも『生きよう!』と言えないのは、
私が友人の悪魔になりたくないから。
こんなに悩んでいる人を
さらに追い詰めるようなことは言えない。
クズ太郎なら言うんだろうな。
ほんとうの痛み、苦しみを知らない人は
平気な顔をして言うんだよね。
『生きていれば何かいいことがあるよ』とか、
『それくらいで死にたいとか。はっ(笑)』
と笑ってみたり。。。
ほんとに辛い経験をすると思う。
辛ければ辛いだけ、
人にああしろこうしろと言えなくなる。
死ぬまでにどのような苦しみ痛みを味わうのかを知ると、
(頑張れ!)なんて言えなくなる。
こんな辛い状態を人にも我慢しろなんて言えない。
平気で言う人がいるけれど、
ほんとに何も分かっていないんだなと嫌になる。
で、こういう人に限って
自分が辛くなった時、
『助けてくれー!死なせてくれーー!』
ってわめくんだよね。
嫌になるわ。。。
それにしても、『綺麗な死に方』って
どんななんだろう?
出来たら、私もそれをやりたいけど、
全然考えつかない。
※文中に登場するクズ太郎は
『元カレ』ではありません。
ただのキチガイストーカー妄想虚言変出者です。