テレビを観ていた時、
『ほんとに偉い人、上の人というのは、
とても腰が低いんです。
こんな小娘の私にすら丁寧に対応してくれる。
ところが、
下の力も実力もない人間ほど傲慢で偉そうだ』
と発言していた女性。
そう!その通り!
この意見には激しく同意!
ほんとにすごい人は、ほんとに腰が低い。
相手がとにかく頭を下げる。
私も立場のある方から、そのような対応をされた時、
(いえいえ、そんなことされたら恐縮です)となり、
どこまで縮こまればいいのか困る。
『上の方にそんなことされたら困ります』
等と私が言っても、
『いやいや、私なんてまだまだ未熟者なんでね』
と相手が言う。
『そんな、○○さんが未熟者だなんて。。。
私なんて、存在してないような者ですよ。
ほんとにやめてください』
等とお互いに自虐し合う。
クズ太郎は、
『俺、自虐する人きらーい』と言っていたけれど、
ぜひ、そのセリフをあの方たちに言って頂きたい。
表面の態度でしか相手を判断できない
単純馬鹿クズ太郎は、
『そういう態度はダメですよ。
いい歳の大人が何言ってるんですか(笑)』
等と馬鹿にして言いそうだ。
あの方たちだって人間だ。
クズ太郎のような傲慢なクズの態度には、
怒り心頭だろう。
裏から手を回して潰してくれないかな。。。
ほんとにすごい方たちは、
『●●先生』と呼ぶと嫌がる。
幼少期、
『あの方たちを先生と呼ぶのはだめよ。
お休みの日に先生と呼ばれるのを嫌がる人もいるから、
名前で呼びなさい』と教えられたことがある。
だから、ほんとにすごい人ほど、
『先生』と呼ぶのは失礼だったり
不快感を与えるのだと思っていた。
『先生』と呼ぶのは、場所を選ぶ。
人を選ぶ。
気をつけなければいけない。
ところが、
クズ太郎は司法長期浪人生の分際で
『先生』と周囲に呼ばせる。
『先生』と呼ばれることをあんなに喜ぶ人間がいることを
初めて知った。
本人は、一目置かれているから、
俺が優秀だからと言っているけど、
周囲には、なぜクズ太郎を『先生』と呼ぶ必要があるのか
疑問に感じている人ばかりだった。
『なんでクズ太郎を先生と呼ばないといけないんですか?』、
『なんであの人は先生と呼ばれているんですか?』、
『あの人は何の先生なんですか?』、
『先生と呼んだ時(はい)と言う時の顔が気持ちが悪い』、
『この前名字で呼んだら、
(先生でいいですよ)って言われた。
先生と呼ぶことを強要されて気分が悪い』
等と言っていた。
皆、
『いい歳のおっさんの弁護士ごっこに
付き合わされて腹が立つ』と思っているのに、
それなのに、『俺は一目置かれてるから』か。
。。。哀れ。
※文中に登場するクズ太郎は
『元カレ』ではありません。
ただのキチガイストーカー妄想虚言変出者です。