異星人と交信した結果、撃沈。。。。。。。。。。。。。。。。。。

※登場するクズ太郎は  『元カレ』ではありません。  ただのキチガイストーカー妄想虚言変出者です。

異星人と交流した結果、撃沈。。。。

『認識』と『理解』の違い

 

言葉のとらえ方、理解の仕方は人それぞれだ。

話しの通じない人に、

『日本語ワカリマスカーー』

等と言うこともあるけれど、

 

外国人と仕事をした時に、

『日本人で母国語が日本語だから必ず通じる』

と思うことが間違いだったことに気がついた。

 

話し方も、文章の書き方も、実は人によって違う。

いい歳をして、自分の思う通りの文章しか理解出来ず、

自分の思い通り以外の話し方、文の書き方をする人を

ひどく非難する人もいるけど、

 じゃあ、その人の話し方、文章が万人受けするかというと

そんなことはない。

 

ほんとに頭のいい人は、相手のレベルにあった話し方、

文章を書くことができ、理解することが出来る。

 

ほんとに賢い人は、

人の文章力や会話力に難癖をつける前に、

自分の理解力を磨く。

 

人に文句を言うより、人に対する対応力を身に着けた方が

ストレスは減るし、人からの評価も上がるからだ。

 

『認識』と『理解』

分かっているような、分かっていないような。。。。

 

言葉で明確に説明できなくても、

日常生活に支障がでるわけではない。

だから、深くはつきつめない。

 

こんなことは世の中には多々ある。

 

けれど、クズ太郎と関わると、

この『適当にやり過ごす』が出来ないことが多々ある。

 

『え?なんでこれが分からないの?』と

いうことが多々あり、話しているうちに、

基本的なこと、根本が分かっていないことに気がつき、

『そもそもさ。。。』と説明することが多い。

 

クズ太郎から、

 『俺、そもそもって言われるのイヤなんだ』

と言われたことが何度かあるけれど、

クズ太郎が嫌だというくらい

過去にも、

『そもそも』と言われたことがあったのだろう。

 

それを聞いた時、

これまでにクズ太郎と関わった人たちの

苦労を思い、クズ太郎と関わっていることが余計に辛くなった。

 

要は、それだけ多くの人から、

『そもそも人とはね。。。』

という説明を受けているにもかかわらず、

こんな性格で、全く精神的な成長がないわけだ。

私が少し何か言った程度では、直るわけがない。

 

クズ太郎は、言うことだけは立派だ。

でも、中身がない。

 

一見、賢く聞こえる言葉を言うけど、それだけだ。

言っているだけ。

それがなんなのか、理解がない。

 

何かで言葉を知り言うだけなら、

それは『認識』しただけ。

 

言葉を知り、意味を知り、

それを踏まえて使えるなら、

それが、『理解した』ということになる。

 

この、『理解』という言葉の定義も感じ方も人それぞれだと思うけど、

ある辞書によれば、

 理解:物事の道理を悟り、知ること。また意味をのみこむこと。

    (自分以外の人の)気持ちや立場を分かること。

とある。

 

だから、ただ知った言葉をぽんぽん口に出しているだけでは、

『理解している』、

『分かっている』ということにはならない。

 

クズ太郎が、『認識しているだけ』の状態なのに、

なぜ『理解している』と勘違いしているのか

ずっと不思議だったが、一つ私なりの結論が出た。

 

あるテレビ番組を観ていた時のこと、

16歳くらいの男子学生がその番組のコメンテータ的立ち位置で

出演していた。

 

その時のニュースに対するコメントを的確にしているのだけど、

それに対して、他の共演者の大人が、

『○○くんはすごいね!』、

『その歳でそんなことを言えるなんて賢いね。頭がいいね』、

『そんこと言われたら、大人の面目丸つぶれだよ。

 ここにいるのは、馬鹿な大人ばっかり(笑)』

等と言っていた。

その時、その男子学生はものすごい得意顔。

もちろん、その後のコメントは意気揚々とふんぞり返って

ドヤ顔で意見を言うのだけど、

その態度がクズ太郎とかぶった。

 

 

 

 

 

学年に1人くらいは、

こういう大人顔負けの発言をする学生はいる。

 

本人が勉強が好きなのか、親が叩き込んだのか、

それとも、

子供が大人が使う難しい言葉を使いたい年頃だけなのか、

どれなのか不明だけど、

たいてい、

こういう学生は少し斜に構え、他人を子バカにした感じで、

自分の知識をひけらかすがごとく、難しい言葉を使う。

 

周囲の大人や同級生がその学生をほめるのは、

あくまでも、

『その歳で、それが出来る(言える)のはすごいね』

ということであって、20歳越えたら当たり前のことになる。

 

けれど、早々とこういう一目置かれる存在になった人間は、

『自分が特別頭のいい人間だ』と勘違いしがちだ。

本人が気がつくか、周囲が注意しつづければ

ある一定の年齢に達すれば落ち着くけれど、

クズ太郎のような自分絶対主義者は、

他人の意見を聞かないから、

イタイ人間になってしまう。

 

 

『1+1=2』と言っている小学1年生に

『そんなの当たり前だ!』という人間はいないだろう。

『えらいね!よくできたね!!!頭がいいね!』

とほめるだろう。

 

けれど、大人が『1+1=2』とドヤ顔で言っていたら、

『は?当たり前のこと言って威張ってんじゃないぞ!

 お前馬鹿か!???』と言われる。

 

クズ太郎がしていることはこういうことだ。

 

この、『認識』と『理解』の違いを何度もクズ太郎に

話したことがあった。

 

その度に、

『俺は学生時代から先生と呼ばれていて、

 教師も俺を先生と呼んでいた』と言い返してくる。

 

だから、そういう学生だったから、

そんな大人になったんだよ!

気がつけ!と思ったけれど、

クズ太郎が気がつくわけがない。

 

『一生懸命頑張っている司法受験生が多々いる。

 クズ太郎のかわりに不合格切符をつかまされる受験生が

 可哀想だ。

 ほんとに人のためを思うなら、クズ太郎を改善するな』

と言われたことがある。

 

幸福と不幸は表裏一体。

誰かが幸せになれば、誰かが不幸になる。

 

合格者がいて、不合格者がいて。。。

 

言葉の表面だけを見て、

賢そうに見える言葉だけを拾い集めて、

さらに、自分のおかしな価値観・考えで理解した気になっているうちは

今後も失敗が続くのだろう。

 

 

※文中に登場するクズ太郎は
 『元カレ』ではありません。
 ただのキチガイストーカー妄想虚言変出者です。