異星人と交信した結果、撃沈。。。。。。。。。。。。。。。。。。

※登場するクズ太郎は  『元カレ』ではありません。  ただのキチガイストーカー妄想虚言変出者です。

異星人と交流した結果、撃沈。。。。

『一見最悪に思えるけど、とても幸せだと感じた夢』。。。

 

私は毎日夢を見ます。

夢を見ない日は、1年で数える程度しかないくらい、

毎日見ます。

そして、睡眠中、複数の夢を見ます。

 

今日は、起きた時、

(すごく幸せだ!)と思う夢を見たんです。

 

起きた後も、

(もう1回寝て、続きが見たい!)と思うくらい、

とても良い夢でした。

 

結局、もう眠ることが出来なかったので、

夢を見ることは出来なかったのですが。。。

 

その夢は、一見すると、

(これから不幸が訪れる)という前触れ、警告とも

受け取ることが出来るような夢。

 

 今回の夢ですが、

(これから〇〇をします。

 何人かでグループを作ってください)となり、

与えられた課題をこなしていくのですが、

 

同じチームの人たちと、

与えられた課題を次々にこなし、それを繰り返していくのです。

その間に、チーム内の人が、

どんどん入れ替わっていくのです。

 

そんな中、

洪水の後なのか、津波の後なのか、

なんの自然災害の後か分かりませんが、

浸水被害に遭っている街中を

与えられた課題をこなすため、

自転車に乗り、街中を移動するのですが、

 

その中、浸水している家から

一生懸命、水・泥をかきだそうとしている人たちや、

ゴーグルを付け、完全に浸水した家に

侵入しようとしている人たちがいました。

 

 

(この人たち、何をしようとしているんだろう?)

と思うと、

3人いたうちの一人が、

『今から潜れば、300ドル手に入るんだ!』と言っていて、

(え。。。。。。

 浸水している家から、現金を盗もうとしているのか!?)と

驚き、通報しようか悩んだり、

 

課題をこなすために、

私も何かを探しているのですが、

(何を探しているのかは夢の中の私は分かっているようでしたが、

 夢を見ている私は分かりませんでした)

 

私は、何かを見つけて、

持っていた紙袋に、必死になり、

それを入れようとしていたのですが、

水が押し寄せてくる気配を感じ、

夢の中の私が焦り始めます。

 

『早くしろ!

 あ!あと、これも入れて!』と

同じグループ内の一人の男性に言われたのです。

 

言われるがまま、紙袋を広げて、

自分にとって必要な物と、

その男性に言われたものを入れようとしている時、

自分たちのいる場所に、

大量の水が押し寄せてくるのが分かり、

(危ない!危険だ!

 早く物を袋にしまわないと!)とさらに焦りました。

 

すると、その男性が私の手をつかみ、

私もその男性の手を必死につかみながら、

袋に何かを入れていました。

 

で、この男性、昨日の夜、少し前に別の夢で見た男性で、

その時、この男性とすごい親密に話していたんです。

 

(交際している)という感じではないのですが、

相手が私に好意を抱いてくれていて、

とても可愛がってくれているのは分かったし、

甘え下手の私が甘えやすいように、

男性の方から理由をつけてはそばにいてくれて、

その態度に安心して、私も頼って甘えていたのです。

 

で、話はその洪水浸水の街の夢に戻り。。。

 

その男性が、

『もうだめだ。

 いったん、落ちるぞ!』と言ったんです。

 

(え。。。。ここまで登ってきたのに、

 また落ちるの。。。いやや。。。)と思っていると、

 

その男性が、

『大丈夫!問題ない!』と言うんです。

 

(水に押し流されて落ちるなんて、嫌だよ。。。)

と思っていると、

『絶対に手を離すなよ!

 俺から絶対に離れるな!

 何があっても守るから!

 何も怖くない!

 落ちても2人は一緒だから!大丈夫だ!』

とその男性は声をかけ、励まし続けてくれるんです。

 

(でも、落ちるのも怖いけど、

 この状態で水の中に入ったら、体が冷えて、

 レイノー現象が反応したら、私は死ぬ。。。)と思うと、

(水攻めは勘弁。。。)という気持ちもあり、

『分かった。大丈夫』と言えませんでした。

 

(もう少しで水がここに到達する!

 覚悟決めないと!

 あ、、、薬。。。何日分持ってたかな。。。)

そんな心配を始めた時、

目が覚めました。

 

その時、なにか温かい物に包まれた、

とーーーーっても幸せな気分に包まれていたんです。

 

 

洪水被害に遭っている中、

水が押し寄せていて、

その水に飲みこまれて死ぬ可能性だってあるかもしれないのに、

私は自分を守ろうと必死になり、

そばにいて、私の手をずっと握ってくれている男性のお陰で、

(恐怖)という感情は、一切感じていなかったのです。

 

【自然災害】という、

これから私の身に何か悪いことが起きる警告。

もしくは、今、その渦中にいるということを

認識させるかのような夢でしたが、

 

どこの誰か知らないけれど、

一生懸命私を励まし守ろうとしてくれている

夢の中の男性は、私に安心感と幸福感を与えてくれていました。

 

現実として、

(そんな男性が現れて。。。)ということは、

ほぼ確実にありえませんが、

ただ、この男性、

私がはてなぶろぐで弱音・愚痴を吐いても、

見捨てずに読み続けてくださり、

励ましのコメントをくださる皆さんのことなのではないか。。。と

思ったのです。

 

本音を言うと、

20代の時、SLEと診断を受け

自分でSLEのことを調べたところ、

【発症後、早ければ3年~5年で死ぬ可能性が高い】

と書かれていて、その時は死ぬのが怖かったです。

 

当時、お付き合いしている男性もいましたし、

私は当時、独占欲がとても強かったので、

(私が死んだ後、他の女性と交際したり結婚してほしくない!)

と思うと、

(私が死んで、彼を他の女に渡してなるものか!)と思うと、

もう、死ぬのは怖いし、死にたくないし、

とにかく必死でした。

 

医者に言われるがまま、検査・治療を受け、

出来る限りのことをしました。

死なずに生きることが出来るのならと思い、

痛かろうと苦しかろうと、

医者に言われるがまま、どんな治療でも受けました。

 

私がこれまで、

『死にたくない!絶対に生き抜いてみせる!』と

生きることに執着し、

意地汚いほどに、生きることにしがみついたのは、

SLE診断後から、約13年くらいですね。

 

死ぬことを怖いと思う気持ちを克服するため、

脳科学者が考える【死後の世界】、

【脳の構造】、

【なぜ人は死を恐れるのか】等、

そういう関連の書籍や論文を読み漁り、

私が視聴可能な限りの講演会、学界的なもの等、

参加させて頂けるものは、とにかく聞きに行きました。

 

日本では、脳科学者が死後の世界について

研究発表している人は少ないようですが、

海外だと結構多いですからね。

 

なかなか面白かったのと、

そして、おかげさまで、死ぬことが怖くなくなりました。

【死は不幸、最悪のことではない】、

【死が与える幸福がある】、

【死が痛みや苦しみから救ってくれる】、

【死は終わること、終わりではない】、

【死は新たなる出発】、

【死は生まれ変わること】、

こういう新たな価値観を知り、

【死ぬことで、今の自分は終わるけれど、

 新しい自分に生まれ変わり、新たな人生がある】、

これは、宗教観ではなく、

脳科学者が、宗教の考える天国地獄、あの世、

輪廻転生とは違う【死後の世界】、

【新たな出発がある】ということを

研究し、それを証明しようとしている人たちがいるのです。

 

私は、そういう研究をしている先生方のお陰で、

死の恐怖を克服することが出来たのです。

 

それまでは、自分のことばかりで、

自分が快適に患者として過ごせる環境を作ることなど、

完全に自己中心的な思考だったのですが、

色々知ることで、

やっと、看護・介護者の苦労にも目を向けることが出来、

(死にたくないという我が侭で、

 他人の貴重な時間を、自分の介護の時間として消費させることは、

 ほんとうに正しいのか。

 人の貴重な時間、精神、体力を消耗させてまで、

 私のように人の手を借りないと生きることが出来ない人間が、

 どうしても生きていなければいけない理由とは何ぞや)

と考えるようになり、

そこから【安楽死尊厳死】の必要性を考えるようになり、

世界で【安楽死尊厳死】を国として認めている

国の国民の、死生観を知りたいと思い、

新たに情報収集することにしました。

 

私は今後も、【死にたい】ということを

躊躇なくブログに書くと思いますが、

(もう疲れた!無理!死にたい!)

と短絡的に死を望んでいるわけではなく、

10年以上、

(死にたくない!死ぬのが怖い!生きていたい!)と願い、

生きるために、その時その時に徹底的に出来ることをし、

試行錯誤の末、今に至るので、

あまり心配しないでください。

 

ただ、(はてなぶろぐをやっていて良かった)、

はてなぶろぐに死にたいと書いて良かった)と思ったのは、

私がずっと考えていた

【存在の証明】というものの実態が、

少し見えた気がしたからです。

 

【存在するとはなんぞや】ということを

研究している人がいて、

この人の論文がこれまた面白いのですが、

これを読むと、生きていることが無駄に感じることがあり、

(私ではなくてもいいわけで、

 私が絶対的に生きている意味はない)と思わされ、

生きている必要性を感じなくなることもあります。

 

【人間が生きるとはなんぞや】、

【自分が生きている、その証拠は?】、

【なぜ、あなたはそこに存在していると言い切れるのか】等々、

これ、

(今生きてるし、いるんだからいるでしょ。

 まさに(存在していると言える!))と思うと思うのですが、

この学者の説で言うと、

これ自体が違うわけです。

 

わけの分からない不思議の世界にいざなわれます。

 

そして、この【存在の証明】というものに出会ってから、

私は、

(ごちゃごちゃ面倒くさいことはどうでもいい!

 (証拠)?

 裁判しているわけじゃあるまいし、

 自分が分かってるならそれでいい!)と思うようになり、

面倒なことを考えるのをやめるようにしました。

 

ところが、クズ太郎が

『あなたからしか聞いたことがないから信じない!』

とまさに【存在の証明】論を持ち出したのです。

 

(こいつ、うぜーーーー。

 めんどくせーーーー。。。。)と思いました。

 

研究や、個人で考える程度なら楽しい話も、

現実世界に持ち込むと【存在の証明】は、

とんでもなく面倒で厄介です。

 

『じゃあさ、クズ太郎が言っていることも

 クズ太郎からしか聞いたことがないから信じない』

と私が言うと、

『それはダメです!

 俺が言うことは絶対に正しいから!

 皆が俺を信じてるから、

 あなたも俺を信じる必要があるんです!』と

クズ太郎が言うのです。

 

(あぁ、、、、やっぱりこいつは馬鹿であほだ。

 別に【存在の証明】の話を知っているわけじゃないな。

 

 知っているとすれば、

 (自分の知っていることだけが正しい)とは言えないことも

 知っていないとおかしいから)と思いました。

 

 

 

この【存在の証明】の面白いところは、

(目の前の相手を否定した途端、

 自分の存在も、なくなる。

 目の前の相手がいないということは

 存在していない人間の目の前にいる自分も存在しない)となり、

【他人を否定することは、

 自分の存在自体を否定することだ】となるんです。

 

『あなたのことを信じない!』と言っている人は、

言わせておけばいいのです。

 

だって、この言葉を言った時点で、

相手を否定し、相手の人格・人権・存在を否定し、

傷つけて楽しもうとしているその加害者じたいが、

このセリフを言った瞬間に

(この現実世界に存在しなくなる)のだから。

 

クズ太郎は、

『俺はあなたを信じないけど、

 あなたは俺を信じる必要があります』と言うのは、

独り言と同じなんですね。

 

三者からすると、肉の塊である人間が、

会話をしているように見えると思いますが、

クズ太郎の目の前に私はいないのです。

 

『あなたを信じない』と言ったその瞬間、

クズ太郎の世界に、

【私】という人間は存在しないことになるので、

『俺のことを好きになって俺を信用する必要がある』と

一人遊びをしているだけなんですね。

 

そう考えると、腹も立たなくなるんです。

 

クズ太郎は何を言っても怒鳴り返すか吠えるので、

面倒になり、【存在の証明】を使い、

クズ太郎の存在を私は否定し、

この世から抹消し、クズ太郎が吠えているのは、

救急車のサイレンくらいに思うようにしていました。

 

私は、変な特訓をしてしまったんですね。

 

でも、私も所詮人間。

ストレスはたまるし、持病はある。

おかげさまで、持病が悪化し、

生死をさまよう結果となりました。

 

はてなぶろぐでの交流は、

まさに【存在の証明】の謎を解明するのに

うってつけだなと最近思うのが、

どこに住んでいる誰かも分からないけれど、

 

(死なずに生きていてほしい)という言葉は、

とてもとても有り難いことで、

 

私の生きていることを認めてくれて、

私が死ぬことが

【私がこの世から消えること】、

【私が現実世界に存在しなくなること】、

【間違いなく、私が現実世界に存在していたこと】を

証明してくださったわけです。

 

私のこのブログも、

読んでくださる方がいる以上、存在することになるけれど、

アクセスがゼロになった時点で、

このブログは、存在しているようで存在していないのです。

 

例えば、部屋にある物。

見えていて、(この部屋にある)と認識しているから

その物は存在しているけれど、

持ち主が、その物が部屋にあることを認識しなくなった時点で、

その物は、例え、部屋にあったとしても、

【存在している】とは言い切れなくなるのです。

 

この学者が言うには、(これは極論だと思いますが)

【見えているから存在している。

 自分の視界から外れた瞬間、その者(物)は、

 現実世界に存在していないことになる】と言うのです。

 

初めて読んだ時は、

(そんなわけないやろ。

 この人、頭良すぎていかれちゃったのかな????)等と

失礼なことを思いましたが。。。

考えてみると、その通りだと思います。

 

自分が認識していない者(物)は、

存在していないことになりますよね。

 

人間が【無視をされる】ということを

非常に忌み嫌うのは、

(人から無視された=存在を否定された)と思うから。

人間は、無意識のうちに、

この【存在の証明】を理解認識しているからではないかと思います。

 

人が自分を無視するということが、

自分の存在を否定する行為だからではないのか?と思うと、

【無視をする】といういじめは、

その人の、存在自体を否定する行動なので、

ある意味、現実世界からの抹殺行為なので、

殺人行為にも等しいのかもしれないと思ったこともあります。

 

私がクズ太郎を無視しようとすると、

『人のこと、無視しちゃダメなんだよ!』と

クズ太郎は、必死に怒鳴りました。

『人として最低だ!』とも言いました。

 

私は上記に書いたことを2014年当時も思っていたので、

(まぁ、、、無視するって、殺人行為だからね。。。)と思うと、

完全に無視することが出来ませんでした。

 

警察に、

『そんなにクズ太郎のことが嫌なら、

 無視すれば良かったですよね!』と言われた時、

上記の話はしませんでした。

 

だって、この記事を読んでいて、

(あぁ!それでクズ太郎のこと無視できなかったんだ!)

と納得できる人はいますか?

(こいつ、あほちゃうか!??)と思いませんか?

 

警察は現実世界で起きた事件でのみ動くので、

(無視した=殺人)とは思いませんからね。

 

(いじめを苦に自殺=殺人)にもなっていませんしね。

 

いずれにせよ、

20代の頃に知り、

ずっと考えていた【存在の証明】、

【存在とはなんぞや】と自分なりに考えていたことの

ほんのわずかでも、

はてなぶろぐの方々のお陰で理解することが出来たので、

大大大大大感謝です!

 

それに、なかなか日常生活で

『生きていてほしい』、『死なないでほしい』と言われることは

まずないので、

そんな風に思ってくださり、

言ってくださった方々に、

再度、お礼を申し上げます。

本当に、ありがとうございます。

 

【私がこの世に存在している証明】、

【私が現実世界に存在している証明】、

私が間違いなく今、この地球上に存在していることを

認識することが出来、

自分の中の難問の1つが少し分かった気がして、

これだけでも、この10年、

無理やり生きてきた甲斐があります。

 

去年、あのまま死んでいたら、

このことすら分からず死んでいたわけですから、

去年、どんなに辛くても頑張って治療や

リハビリをして良かったと、やっと思うことが出来ました。

このように思えたのも、

やはり、はてなぶろぐで交流した方々のおかげです。

本当に、有難いことです。

 

そして、去年、瀕死の状態から復活させてくださった、

担当してくださった医者・看護師、

看護してくれた両親、

そして、私のこんなブログを読んでくださり、

コメントをくださった全ての方に心から感謝します。

 

生きてて良かった!!!!!

 

まさか、

(生きてて良かった)と思い言う日が来るとは

思いませんでしたが。

もうほんと、我が人生に悔いなしです。

 

(終わり良ければ総て良し)

私は、どのような最期を迎えるのか分かりませんが、

常に思うことがあり、最期に、

『我が人生に悔いなし!』、

これを最期に思い言い、死ぬことが出来たら、

どんな死に方でも構わないと思っていましたが、

 

『生きていてほしい』、『死なないでほしい』

この言葉を頂けただけで、

私がこれまで嫌な治療を受け生き続けたことに

意味と価値が出ました。

 

最近、ビールを飲んでいなくても、

心が安定しているのは、そのおかげです。

 

私は今、とても幸せです。

はたから見れば、そうは見えなくても、

私自身がそう思うのならそれで良いのです。

 

人の優しさ、温かさに触れ、

自分の生死を心配してくれる人がいて、

自分の生死を惜しんでくれる人がいる。

 

私は何を幸せと思うのか、

ずっと分かりませんでしたが、今は分かります。

私にとっては、これが幸福なんだと気がつかされました。

 

生きていても、

見向きもされず、

死ぬことを考えても、誰にも何も言ってもらえないことは、

これこそが不幸で、

義務的に治療をし、

義務的にただ生きているのは、

私にとっては不幸であり、幸福ではありません。

 

どんな事情でも、

どんな状況でも、

誰かに自分の存在を認めてもらい、

私が間違いなくこの地球上に存在し、

生死を心配して頂けたのなら、

これ以上の幸福はないと思います。

 

今日見た夢は、そういうことなのかな、、、と思いました。

 

こんな風に思えたのも、

私のブログを読み、コメントをくださった方々のおかげです。

本当にありがとうございます。

何度感謝の言葉を言っても、

どんな感謝の言葉を使っても、

今思っている気持ちを伝えきることは出来ませんが、

心の底から感謝いたします。

 

※文中に登場するクズ太郎は
 『元カレ』ではありません。
 ただのキチガイストーカー妄想虚言変出者です。

 

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【SW-challenge様】

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ありがとうございます(^^)/

 

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【tokoyakanbannet様】

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ありがとうございます!

そう言って頂けて、とても嬉しいです(^^♪