『人間として終わってる人と関わってると、自分が善人になった気がするよね。』という言葉を、クズ男と関わることで理解出来たこと。。。

 

『嫌なことをする人は必要だ。』

と言っている人がいた。

 

『それはダメでしょ。

 そういう人がいるから、次から次へと

 人間が悪の心を引きずり出されて争いが絶えなくなるんだから、

 悪いことをする人はいない方がいい。』

という反論に対して、

 

『でも、悪いことをしている人と関わってると、

 ちょっと良いことしただけで、

 自分がすごく良いことが出来る善人になったような気になれるよ。

 皆が善人で皆が良いことをするなら、

 (良いこと)って思うことも感謝することもなくなる。

 

 悪があるから善が分かるんだよ。

 だから、善を善ときちんと認識して感謝する心を持つためには

 悪は必要だよ。』

と言っている人がいた。

 

 

クズ男と関わっていた時、『必要悪』ということについて

理解出来た気がする。

 

クズ男というとんでもない不細工がいるから

他の男性がカッコよく見える。

 

クズ男というとんでもなく意地悪な優しさや思いやりのかけらも

ないゴミがいるから、他の男性が優しく見える。

 

クズ男という人を平気で侮辱したり怒鳴るゴミがいるから、

いつも穏やかで笑顔の人がより素敵に見える。

 

そして、クズ男と関わっていると、

私も少し良いことをしている気分になる。

 

人が嫌う障がい者のようなクズ男と外出し、

周囲の人間が(うわっ!なにあの男。キモイ)という

顔でクズ男を見ているとき、

クズ男に微笑みかけ優しく話す自分が

天使になったような気分になる(笑)

 

クズ男が怒らせた人に

『すみませんでした』と謝っている私が、

自分ではなく他人がしたミスに対しても謝ることのできる

出来た人間になったような気分になる。

 

新人Aさんの立場では、

『私が加害者、新人Aさんは被害者』なんだろうが、

私の立場としては、

『私が被害者、新人Aさんが加害者』なのだが、

私は自分が被害者と思っているのに、

『この会社、色々嫌なことがあって、

 私もそれで嫌な思いをしていたのに、

 新人Aさんの大変さに気がつけずごめんなさい。』

と言っている自分が、理解のある人間になれたような気分になった。

 

これも、

『俺は絶対に悪くない!法的に何も問題ない!

 だから、俺は絶対に悪くないから謝らない!!!』

と言っていたクズ男がいたから、

(私ってすごーーーい!!!!

 『私が被害者なのよ』って思ってるのに、

 自分が加害者と思ってる相手に『ごめん』とか言えるなんて、

 人として出来てるわーーーー。

 私すごくなーーーーい)と軽く自惚れることが出来た(笑)

 

本来、普通のことで、

こんなこと、誰からも褒められることでもなく

自慢することでもない。

 

 

『私は○○さんに認められてるから、

 あの人が引き留めるから、あの人のために会社に残ってるの。』

と一生懸命(私ってすごいのよ)とアピールする人がいたから、

(人が何かするのって、誰かのためじゃなく自分のためでしょ。

 愚かだな。自分が陰でなんて悪口言われてるかも知らないで、

 (私すごいのよ)とか言う人、怖い。

 (自分は嫌われてる。自ら『自分はすごい』と言うのは愚かだ

  ということを知っていてやらない自分はすごい)

 と思えるのも、そういう愚かなことを進んでしてくれる人がいるからだ。

 

『俺は皆に好かれててー』とか・・・・・

いや、ダメしょ、自分で言ったら。

しかも、それ言ってる相手、私がお前のこと嫌いなんだから、

『全ての人から好かれてる』って言ったらダメでしょ。

滑稽すぎて笑えるんだけど。

私、こういうこと絶対言いたくないししたくない。

私がクズ男を笑うように、私がやったらこうやって笑われるんだ。

そういうこと、体をはって教えてくれてありがとうね。

『俺は優秀だ、神だ』とか、そういうことを自ら言うことが

どれだけ滑稽か実践してくれている人がいると、

よーーーく分かる。

私が人を笑うように、私がやったらこうやって笑われるね。

私はやらないよ。教えてくれてありがとう。

 

 

あの人が言っていたことは、きっとこういうことなんだろう。

悪いことをしている人を見て、

しらーーーとなんとも表現し難い顔をして見ている

人に好かれている人たちがいたけれど、

(ああいうことすると嫌われるのに、あの人馬鹿ね)

くらいに思っていたのだろう。

あの人たちのあの表情は、こういう感情だったのだろう。

 

クズ男と関わっていると思う。

必死に、

『俺言ってない!あなたの記憶違い!!!

 証拠は!????』等と言っているクズ男を見ていると

哀れに思えてくる。

 

どうちちゃったんでちゅかーー???

頭大丈夫でちゅか?

そっか、、、大人としてお話するの無理でちゅよね?

ゆっくりお話しするから聞いてくだちゃいね。

と思い、

『ねぇ、クズ男。

 ○○って分かるかな?でね、今、○○になっててね。』

と大人が子供にお話しするように、笑顔を作り、

ゆーーーーくり話をした。

 

すると、クズ男が幼稚園児のような甘えた表情をして

(といっても、ありえないくらい不細工な顔だが。。。)

『うん。うん。』と言うのだ。

 

気持ち悪かった。

 とんでもなく不細工過ぎて気持ちが悪かった。

 

 

でも、

(こんな気持ちの悪い不細工妖怪にも

 笑顔でお話しできる私、すごいわーーーー)

等と思い、優しく接することができた。

 

まさに、人依存症依存。

 

人に依存する人間に、さらに依存し自分を保つ状態。

私も一種の依存人間になっていた。

恐ろしい。

 

 

こういうのは嫌だ。

自分より明らかに劣っている人間に寄生し

自分の心を保つなんてバカな真似をしていると、

これを長期に渡りやり続けてしまうと、

たいしたことをしていないのに、

自分が何でも出来るすごい人間と勘違いし

傲慢になり、人を虐げる愚か者になる。

 

ある意味、そういうことを知っていて良かった。

そうでなければ、私もとんでもない状態まで落ち、

2度と正常に物事を考えることが出来ない人間になっていただろう。

 

 

クズ男と関わっていて良いことは何もないが、

もし、良いことがあるとすれば、

自分がとんでもなくすごい善人になれた気持ちになれることだろう。

 

色々なことを理解し頭を下げれる素晴らしい人間になったと錯覚する。

けれど、それは違う。

あの時私がしていたことは、当り前のこと。

人としてすべき普通のことであって、すごいことではない。

 

クズ男があまりに人として下品下劣なため、

自分がすごい人間になったような気分になるだけだ。

1日に500円も使えない人間といれば、

千円を普通に使える自分がお金持ちになった気になるような、

何かおかしな感覚になる。

 

やっぱり、関わる人間は選ばなければいけない。

そうでないと、おかしな人間になってしまう。

常に自分が一番下でいられる環境に身を置いていたいと

心底思った。