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人間は摩訶不思議な物なり

 

病気になって20年。

病気と闘う時の最大の敵は、寂しさだと

周囲の人間を見ていて思った。

 

 私は子供の頃から病気で、

私が『苦しい』、『痛い』と言うと母が泣くため、

『これくらい平気。全然痛くない。』と平気な顔をするようになった。

 

この20年間、1日たりとも無痛だった日はない。

私の痛みは、鎮痛剤を飲んだところで治まらない。

 

医者に『もっと強い鎮痛剤をくれ』とつめよったこともあったが、

『今それを使うと、今後もっと大変な時に手の打ちようがなくなる。』

と言われた。

 

毎日激痛が体にある。

だから、多少の痛みではびくともしない。

嘘でも、話を盛っているわけでもない。

 

1度入院中に、痛みのため血圧が200を超える日が続いた時、

脊椎麻酔をしてもらったことがあったが、

それくらいほんとに辛いのだ。

 

こんな話をしたところで、

なんだ!?病気自慢か!??気持ち悪い。で終わる。

だから、普段誰にもしない。

 

『痛い』と言っても、嫌な顔をされるから、

一人でいる方がいいと、いつごろからか思うようになった。

 

一人でいると思いっきり痛がれる。

『痛い!辛い!もうこれ以上無理!』

と言っても、誰もいないから誰のことを不快にさせることもない。

誰にも気を遣わず、好きなだけわめくことが出来る。

だから、いつの間にか一人でいることが好きになった。

 

ところが、人間は病気になると人恋しくなるらしい。

病気の話をした時、『かまってちゃん』と言われる理由は、

『病気だと言うと、人が寄ってきて優しくしてくれるから、

 だから、人は私は病気だと言って人を呼ぶ』

からなんだそうだ。

 

『病気になると人恋しくなる。』

この感覚が私には一切ない。

むしろ一人になりたい。

誰にも近寄ってきてほしくない。

 

だから、この話を聞いた時よくわかならなかった。

そういう意味で、私はだいぶ人と感覚が違う。

寂しさを感じない私を、

人によっては、頭がおかしいと思うかもしれない。

 

病気になると一人になりたくなる私タイプと、

病気になると人恋しくなるタイプがいることは知った。

 

多くの人が、病気になると人恋しくなるのであれば、

病人に優しくすればいいのに。

 

私は、自分や周囲の病人を適当に扱った人が病気になっても

優しく対応しないことにしている。

 

『あの時、我々になんて言ったか、何をしたのか覚えていますか?

 そっくりそのままお返ししますよ。

 え?謝罪。イヤイヤ不要です。

 その謝罪って、あなたの要求を私に飲んでほしいからしているだけで、

 治ったらケロッとして、また普段のあなたに戻るんですよね。

 

 こんな大変な思いをしていると思わなかったって?

 あらあら、随分ご都合主義ですね。素晴らしい。

 

 ただでさえ病気でしんどいのに、さらに周囲の対応の悪さ、理解のなさに

 余計辛さが増すでしょ。

 その辛さにお一人で耐えてくださいね。

 我々もそうしてきたんです。

 

 私のような馬鹿者でも、どうにかこうして生きています。

 ご立派に偉そうなことをおっしゃっていたあなたなら

 必ずや乗り切れることでしょう。』

と言って、絶対に優しくなどしない。 

 

 

不思議なもので、人間が、ほんとに人に頼りたくて、

相談したくて、どうにかしてほしいと思うことほど、人に言いにくい。

 

辛くて、誰かに頼りたくなる気持ちもわかる。
でも、人は一人でいるしかないときもある。

 

特に、ほんとに辛くてどうしようもないことこそ、
誰にも相談できず、頼れない。

 

人生、命、病気、病気後の治療費・生活費、
この話を恋愛話等の日常会話と同じテンションで語れる人はいない。

ほんとに、迷い、困っていることほど、
一人で対応しなければいけなくなる。

 

この時に孤独に耐えられず、

常に周囲の意見が必要な人間ほど簡単につぶれる。

 

クズ男みたいに、

『皆が俺を好きで。皆が俺のすることを認めていて。』

等と、『皆』に支えられている人は、

その妄想に取りつかれて、病気になった時の人恋しさもプラスされて

とんでもない化け物になる。

 

ほんとは、普段からこれらのことを日常会話ですることが出来て、

そういう時の心構えを知ることが出来れば、

病気になった時、何か辛いことに直面したとき、

精神状態が悪くなり化け物化し、

周囲に迷惑をかけることはないのだが、

 

なぜか人は、ほんとに考え話さなければいけないものほど

汚いもの認定をして、話題にしない。

 

クズ男は何かあると『寺に連れていきたい。』と言っていた。

 

私は、『経験にまさる学びはない!まず経験者の話を聞け!』

と言うのだが、クズ男にとって私はただのバカなゴミだから

全く私の話を聞こうとしない。

 

『神』とか『仏』、『宗教』等という、

『皆が認め、皆が好きな物』が言ったことではないと

話を聞こうとしないのだ。

 

『俺は、ハウツー本が嫌いだ。』と言っていたけれど、

私にとって宗教はまさに、ハウツー本。

『人生はこのように生きよ!人とはこうなり!』

と書かれた人生の指示書なんじゃないの?

 

寺に行って聞くことなんて、道徳の教科書を読んでるみたい。

 

『んなこた知ってるよ。

 そうじゃなくてさ、私は人間なの。感情があるの。

 それを、感情含めて問題解決してって言ってんの。

 

 落ち着けとか、煩悩とか、そういうことじゃないんだよ!!!』

とイライラする。

 

だいたい、

『あなたはまだ人間がなにか、人生がなにかわかっていない。』とか、

それ、聞いたことあるーーーーというような、お決まりのセリフ。

 

『そういう考えのうちは理解出来ない。』とかさ。。。

 

80歳以上の老人が言ってたぞ。

『これだけ生きてるけど、まだ人間が何なのか分からない。

 人生が何なのか分からない。何のために生きてきたのか分からない。』

って。

 

人生の先輩方が分からないことを、

たった、40年程度しか生きていない私が分かるわけないだろ。

 

クズ男はバカだから、

『俺は人のことは全て知っている。』と言っていたけれど、

それは、逆に知らないから言えることだ。

 

なんでもそうだけど、学べば学ぶほど自分の無知さを痛感する。

『学ぶということは自分の無知を知ること。』というけれど、

ほんとにそうだと思う。

 

学べば学ぶほど、どこまでやったら分かることになるのかが

分からず、『こんなことなら勉強しなくていい!』と思ってしまう。

 

自分がもう大丈夫だろうと思っても、上には上がいる。

『この程度で分かった気になってた自分恥ずかしいーーー』と思う。

 

そのような体験をして、

身の程をわきまえる、自分の程度を知ることの大切さも知った。

 

身の程をわきまえず、自分の身の丈に合わないことにいどみ、

2度と戻ってこない大切な時間を費やしているクズ男。

 

大学入学時から考えると、約15年。

15年は長い。健康なら色々出来るだろう。

 

人として経験できるたくさんのことを捨ててまで、

長期浪人をする意味ってなんだ?

他人の人生だからどうでもいいけど。

 

クズ男を見ていると、ほんとに人間ってなんだろうと

答えのない疑問が次々と出てくる。